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リカバリーストーリー最新版

        「わたしのリカバリーストーリー2020」


 アドバンスレベルWRAP ファシリテーター
              増川ねてる

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 家に来てもらうということ  
 ―――――――――――――――

久しぶりに、家に人が来る…
外から人がやってくる。

今から15〜16年くらい前のこと。
「これで、何かが変わったらいいな」

淡い期待を…とても真剣に持っていたと思います。
いろんなところに相談に行ったけれども上手くいかず、これにかけよう…でも、またダメかも知れないと思っていたような気がします。

僕は、家に来てくれる人を…緊張しながら、待っていました。

当時僕は30歳とか31歳で、田舎を出てから12、3年経っていて…千葉県で一人暮らしをしていました。19歳の頃から10年以上にわたり続いていた精神科での治療がうまくいかなくなり、30歳前に仕事が出来なくなりました。収入は障害基礎年金の一級と、生活保護。そして、人と話すのは、月に一回の受診の時くらい…。
医師からは、「もう、医療では限界です。これからは、福祉のサービスを使って生活することをお勧めします」と言われていました(僕は薬物中毒でした。処方されていた薬の中毒になっていて、薬が切れると思考がバラバラになってしまい、許容以上の薬を飲んでやっと落ち着く…というのが日常でした。自分が知らない間に、叫んだり、暴れたりということもあったようです)。

食事は大量に薬を飲んでタクシーに乗ってスーパーに行き、大量の冷凍食品をリュックとボストンバックに買い込んできてそれを順番に食べていく…。ほとんど人と会わず、口を開くとこのない生活を送っていました。(担当の生活保護のワーカーさんとはうまくいかなくて、家にやってこられると(その刺激で)精神が不安定になるので極力合わないようにしていました)

                  ・・・

そんな生活が1年…2年だったかと思います。続いていました。出口が見えない・・・ 僕は、薬で自分をコントロールすることしかこれまで学んできていませんでした。でも、今は中毒で、…その薬が使えない
そして、人といると暴れてしまうから、、、会いたくない。
とにかく入ってくる刺激が僕の精神を変に刺激して、頭が混乱していくのです… 行政の人は、「前例が前例が」とばかりで(目の前にいる人の…僕の声は届かず…)、何を言っても聞いては貰えず…
そして、生活は、僕一人が止まってしまって、
頭は暴走して、倒れて寝込むという日が続いていました。
これから、この人生、どこに行けばいいのだろう

「助けて欲しい」

誰か、助けて欲しい…
それは、たぶんずっとありました。そして僕は、市役所や、県庁、厚生労働省によく電話をかけていました。でも、だんだんとそれも出来なくなっていき…「たらい回し」で問題が解決しなくて…でもどこか…どこかないか、とインターネットで探して、探して、


「ここなら聞いて貰えるかも…」
というところに電話をして、、、

そして、その方が家に来たのが最初です、、
 (その方とのやり取りで、「では、この人たちが専門で、あなたの地域のことなら私より、この方たちがよいでしょう」ということで紹介して下さった方が来たのか…記憶が曖昧なのですが…)

                  ・・・

「私は、○○○という者です。何に困っているのかを教えて下さい」
家にやって来た方は、 (へんな言い方ですが)とても礼儀正しくして下さいました。機械的でもなく、上から目線・高圧的でもなければ、へんに馴れ馴れしくもなく、でも使命感のようなものを持ち、
「困っているという人がいるからやってきました」という感じでした。
僕は、改めて、これまでも市役所でしていた話をその方(たち)にしていきました。腕にある傷や、割れた風呂場のガラス、光が入らないようにとベランダに張ったシーツ…も見て貰いました。

それからの展開は、(今から思えば…)早かったです。

・この住環境では、健康的な生活は難しいので先ずは部屋の掃除。
・一人で、掃除や、洗濯や、買い物、そして調理は難しいと思われるので、「ヘルパーさん」をつけよう
・暑すぎる部屋だから、クーラーを調達しよう

いろんなサービスに接続されて行きました。
(やがて、ベランダに張ったシーツは外されて、カーテンを開ければ外の景色が見えるようになりました)

                  ・・・

そして…
少し時間が進んだ頃のこと。
思い出すのは、家に来てくれたヘルパーさんが、「かぼちゃの煮物」をよく作ってくれたこと。温かいご飯。普通の会話。

ヘルパーさんは買い物に行き、ご飯を作ってくれて、
ヘルパーさんはお昼前に帰るのですが、僕はお昼を待ちきれず、ヘルパーさんが帰ったそばから作りたてを食べたりしてました。…待ちきれなかったのです。本当に、本当に、食べたかった。作ってくれるのが、嬉しかったです。
人が作ってくれたあったかいご飯・・・ 体に血がめぐってくるのがわかる感じでした。

そして、普通の会話。
診察室では病気のことばかり話していましたし、市役所の面談室でも「助けて下さい」という話をしていました。一人暮らしで、友人たちとの距離もとっていたので(神経が張りつめていて、うまく一緒に居れなくなっていて)人と話すことのない生活。そこにやってくるようになったヘルパーさんとの「普通の会話」。今から思うと、ありがたかった。病気の話しとか、いろんな恨み言で会話するのではなくて、それは「目の前の生活」の話しでした。

「何食べたいですか?」
「何でもいいです」 「何かないですかね?」
「あ、かぼちゃまたお願いします」
「あれ、美味しかったですか」

そんな会話に思います。
そして、

「今度、新しい施設ができるみたいですよ。
少し外に出てみたらどうですか?」

と何気なく、新しい施設のことを聞きました。
それまでも、何カ所かの施設に行ったことはありました。でも、うまくなじめませんでした。そして、それを知ってか知らずか、本当に何気なく、その方が言いました。

「今度、新しい施設ができるようですよ」


そして、
僕は、そこに出かけるようになっていきます。

                  ・・・

2005年の11月。
そこから僕のリカバリーは始まっていきました。
「ここは、何をするところなんですか?」
「まだ、決まっていません。ここで何をするかは、ここを利用するあなたたちで決めて貰えたと思っています」

そこは、「クラブハウス」モデルでオープンした施設でした。
そこで、「当事者活動」を知り、「ピアサポート」を知り、「リカバリー」を知り、「WRAP」を知りました。
大きかったのは、「その気持ちわかるよ」っていう…友達ができたこと。そして、ハウスの中で「役割」ができていったこと。「リカバリーしようぜ」っていう友達ができ、「新しい時代をつくろうぜ」って仲間ができたこと。そして、「経験」は無駄じゃない、あなたの力を信じているよって言ってくれた支援者に僕は出会っていました。

                  ・・・

思い返せば、
あの「家に来てもらった」ということが、僕の「リカバリー」の起点になっているようです。

あのどうにもならない生活は、いくら言葉を重ねても、市役所の面談室、病院の診察室では、わかって貰えないことだったと思います。家に来てもらって、実際を見て貰って、それで「では、何をどうしていこうか?」
話し合った日を思い出します。

「家に来てもらう」

ということ。
最初は抵抗もありましたが、でもあの日、あの時が原点です。

                  ・・・

あれから15〜16年経ちました。
あの時の家に僕はもう住んではおらず、ヘルパーさんに来てもらっていたのはあれから3年とか4年だったと思います。
その間いろんな葛藤や、困りごとはありましたが、

「実際に困っていること」

をしっかりと見つめてくれて、考えてくれた人たちに感謝です。精神的にも肉体的にもギリギリだった僕を助けて下さり、本当にありがとうございました。

ふと、前に流行ったTVドラマのセリフが思い浮かびました。
(それは、僕も大好きになって楽しみに観ていた刑事ドラマです)
その中で、主人公がよく言っていました。

「事件は、会議室で起こっているんじゃない。現場で起きているんだ」

と。 それにならって言うならば、

「人生は面談室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ」

 そして、この場合、「現場」というのは、「家の中」であり、「生活の場」だと思います。

                  ・・・

2020年5月。
今はコロナで大変で、僕は神経過敏になっていて、
頭の暴走が酷いです。そして、そのたびに出口が見えないと思うこともあります。
携帯が怖くて怖くて、電源を入れられなくなっていて1ヶ月半が経っています。 でも、今は、
「リカバリー」を知り、助けてくれる人の存在を知っているのでここで踏みとどまります。
みなさんは、今、どうされていますか?

僕は、休むこともままありますが、いやになることもありますが…この人生、僕は精一杯に歩き続けていこうと思います。 元気になってまた会いたいです。

その時はまた、緊張をしていると思います。
でも、その時も、

「これで、何かが変わったらいいな」

  いつも、たぶん、思っています。


                            2020年5月
                            増川ねてる

 

代表からひとこと

私は、2000年より精神科の看護師として働いてきました。
当初はリカバリーという言葉も知らない看護師でした。しかし、看護師だけではなく、看護師以外の職種の方との出会い、またリカバリーしている当事者の方との出会いを通して、励まし、励まされ、時に怒られながら、人として成長させてもらい、今の地域での活動にたどりつきました。
私は看護師です。質の良いケアを提供したいと思っています。しかし、設立者の一人は、当事者です。
その人は、「社会の中で、人との交流の中で回復してきた」と言います。
専門的なケアとともに、回復のために役に立った体験、人や社会との交流を届けたい、そして、精神の疾患を持つ人が自分らしく、少しでも心地よく生活できるようになってほしいと思っています。
私の知るもの以外にも、きっと回復のために役立つものはあるでしょう。
それらを教えてくれる仲間も募集しています。
これからの私たちをどうぞよろしくお願い致します。
 
                   精神看護専門看護師 村中 晶
 

私たちが大切にし、目指しているもの

自分で自分を取り扱えるとしたら、人は病人ではなくユニークな個人へと変化する
 

提供してきたいと考えるもの

「人が社会の中で回復する」ためのサービス

・町の中の「場所」
・人と人が出会い、学び、成長できる「機会」
・自宅へ届ける「ケア」
・支援者の学びと成長、癒し
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